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エレックレコード (ELEC RECORDS) は、日本のレコード会社。今日のインディーズレーベルの先駆けとされる。 1969年に設立。1976年に倒産し一旦消滅。2004年に再び設立された。 == 概要 == URCレコード、ベルウッド・レコードとともに初期フォーク系の3大レーベルのうちのひとつといわれる〔『資料 日本ポピュラー史研究 初期フォークレーベル編』- 黒沢進(1986年、SFC音楽出版)では、永野譲(エレック)、大瀧詠一(エレック、ベルウッド)・三浦光紀(ベルウッド)、秦政明 (URC)、高田渡 (URC)、早川義夫 (URC)、岩井宏 (URC) ら、URC・ベルウッド・エレックの関係者へのインタビューが行われている。〕。 1969年に設立され、吉田拓郎、泉谷しげるら人気ミュージシャンのレコードをリリースし急成長〔富澤一誠『ニューミュージックの危険な関係:富沢一誠の内幕レポート』青年書館、1978年、p70-79〕。設立時は新宿の喫茶店の2階、僅か15坪の事務所だったが〔、3年で年商20億、新宿管内では伊勢丹に次ぐ高額納税企業になった〔。7階建ての本社ビルを建設し、最盛期には社員100人を越えた〔。1972年以降、吉田拓郎や泉谷しげるをはじめとする看板アーティストの移籍、独立が相次ぎ〔1972年1月、吉田拓郎がCBSソニーに移籍。1973年、海援隊が「風雲編」を最後にテイチクレコードへ移籍。スタッフの一人が音楽出版社を設立。1974年5月、スタッフのひとりが古井戸とともに、音楽出版会社を設立。1974年10月、泉谷しげる、「黄金狂時代」を最後にレコード会社を移籍。1975年7月、ケメ(佐藤公彦)、「遠乗りの果て」を最後にレコード会社を移籍。〕、1976年7月15日、1300万円の不渡りを出し倒産した〔。負債総額12億円〔。エレックレコードの社員であった門谷憲二は倒産の原因を放漫経営と分析している〔BOOK 著者に会いたい「エレックレコードの時代 門谷憲二さん」文・宮崎健二 asahi.com 2006年10月15日〕。 2004年、旧・エレックレコードで制作ディレクター、制作宣伝部長を歴任した萩原克己が中心になって新生・エレックレコード株式会社が設立され〔エレックレコード社長・萩原克己さんに聞く「思い出のアーティストたち」 <前編>〕、復刻CDのリリースや往年のイベントである「唄の市」コンサートを復活させるなどしている。当初はバップ、ポニーキャニオン、フォーライフミュージックエンタテイメントの各社に音源を提供していたが、2013年6月よりワーナーミュージック・ジャパンの傘下レーベルの一つとして復刻版などが順次発売されるようになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エレックレコード」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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